先日ある勉強会に参加した時の話です。
実技も含まれており、行ったのはベーシックなエクササイズでしたが、新たな発見や理解があり行ってよかったと感じています。
そのセミナーで、
「走るときに腕は前に振るか?後ろに振るか?」
といった話があがりました。
さあ、どっち?
上記のように、
「AとBがあります。さあ、どちらが正解でしょうか?」
というのはよくあり、それが例えば
「カレーは食べ物?食べ物じゃない?」
という話であれば、「食べ物だ」、と考えるでしょう。
しかし
「カレーは、食べ物?飲み物?」
という話では、
「カレーは飲み物や!」
と言い出す人が出てくることが考えられます。
「カレーはおいしい?まずい?」
となると、Aだとは言い切れなくなります。
AとBどちらが正解?といった場合には
「AかBかは判断できない」
「AもBもその通り、だけどどっちかといえばA」
ということは多く、その場合の「どっちかといえば」というのは
その人の置かれている状況やその人個人の特性に影響されると考えられます。
AorBはその人による
ここで冒頭の話に戻りますが、この時は、
「腕は前にも後ろにも振る。何故なら腕を振る目的の一つとして、身体の回旋を抑えることが挙げられるから。
腕を振らずに走ると、右足を出したときには身体が右に回ってしまうし、左足の場合はその逆になってしまう。」
というお話をしていただきました。
それに、付随して
「腕を後ろに振る意識が強すぎて、本当に後ろにしか振っていない選手、逆に前にしか振っていない選手がいる。」
という話もしていました。
つまり、
「腕は前にも後ろにも振る。しかし、どっちが大切なのかは人によって変わる。」
ということです。
Cを生み出す
Aに対してBという考え方が生まれるのは当たり前で、カレーの例で示すと、
A:「カレーはおいしい」
B:「カレーはまずい」
という二つの意見を互いに譲らずに言い合ったところで話は平行線をたどります。
もしかしたら違ういつもと違うカレーを食べてみたら、Aの考えがBに変わることもあるかもしれません。
しかし逆もまた然りですね。
となると、
C:「カレーはおいしいと思う人もいれば、まずい人もいる」
「おいしいカレーもあれば、まずいカレーもある」
という考えを生み出すことが必要で、おいしいと思う人はカレーを食べたらいいし、まずいと思う人は違うものを食べたらいいわけです。
おいしいカレーを選んで食べたらいいわけです。
これは、AでもBでもどっちでもいい、という考え方に思えて実はCという新しい考えを生み出したことになります。
食べ物はカレーだけではないし、チキンカレーだけじゃなくマトンカレーもあるのです。
まとめ
もちろん、AがいいかBがいいかといった場合には、明らかにAが良いということもあります。
しかしそうでないときに、
「この場合もAであの場合もA。Aが正しくてBは間違い。」
と考えてしまうか、
「これとこれはAだけど、こっちははBだ。」
「AとBを合わせて考えてみたらCが生まれた。そしてこの場合にはCがいいはずだ。」
「そもそもAでもBでもなく、そしてCでもない。別の方法であるDがいい。」
と考えるかで、全然違いますよね、という話でした。
そしてその考えから自分なりの結論を下すために必要なのが勉強であり、経験であり、直感なんだなと思ったりなんかしたりするんです。